最近は調子よいとは言えない

う~ん 前よりは大分恵まれているはずなのだが、いまいち、気持ちが乗らない日々が続いている。プチ鬱状態なのか、贅沢な悩みである。

身体がやっと良くなり始め、遂に外を散歩できるようになった。ここ6年間家の中にいたことを思えばなんと素晴らしいことであろう。だが、しかし以前より意欲が減退しているのである。今まで家にずっといて、面白いと思えていたことが最近は全く面白いと思えなくなってきた。環境の変化による贅沢な悩みである。

少し前にシニア用の安全な電動自転車を購入しなんと、サイクリングまで始めようとしている。今はまだほんの少しの距離しか走っていないが、その内、長い距離も乗れるかもしれない。良いことずくめなのだが、日々の生活にフラストレーションがたまってきているここ最近である。

毎日ニュース見ることが楽しみの日課であったが、見ることが出来ない。長く見ると鬱になりそうな頭の状態である。日頃ニュース以外のテレビを見ることが嫌いであるこの私がとうとう、ジャンクスポーツを見始め、昨日からはDAZN(スポーツ観戦)を見始めている。いままで、スポーツ観戦は嫌いであり、小学校以来見たことがなかった。ワールドカップの日本戦でもみないこの俺がスポーツを見始めた。そうとう、脳の状態が良くないようである。ぼーっと頭を使わない番組を見たいようである。結構な重傷だ。

でもなぜスポーツにこだわっているかというと、スポーツを見ることにより、脳がスポーツをしているときと同じ信号を身体に送りリハビリが進むと信じているからであろう。スポーツ観戦後に、実際運動能力が上がることは事実である。

これは、中途半端に良くなったことによるストレスの症状である。だから、喜ばなければいけないと認識はしているが、今まで楽しかったことが、脳への負荷になることは事実である。急に飛躍しすぎかもしれないのだが、いっそのことスポーツジムにでも挑戦しようかとも考えているこの頃である。ちょっと早いのか、それとも行った方が良いのか検討中。

なによりも、腰を痛めるなど後退だけはしたくない。後退しないような道を賢く選択していこうと思う。ゆっくりで大丈夫。今できることに感謝しつつ、もし行けるようならばいこうと思う。

手を抜くことにより得られる物がある

最近はやはり少し鬱気味なのである。

脳の調子が良くない。が、さすがに鬱20年ともなると今どのような状態にあり、今どうするべきかと言うことがわかってきている。焦ったり、とらわれたりはあまりしなくなった。状況を受け入れて、放置プレイ。あと、今までやっていたことを潔く止め、なるべく怠惰な生活を送ろうとしている。意味あることをやらず、向上心や生産性のある事を止め、ひたすら楽な道を選択している。これが面白いことで、手を抜けば抜くだけ状況は良くなる。鬱初心者は状態が悪いと生産性が落ちた分焦りを感じ、今まで出来てきたことをキープしようと150%の努力を使い、もがきながら以前の水準を保とうとする。これが一番の賢くないやり方である。もう0%を受け入れ普段やらないくらいもうぐうたらな生活を送り身を任せることが一番である。0%の覚悟を決めたときに徐々にエネルギーがもどってくる。力を抜くことにより得られる物があるのである。もう以前とは全然違うことをやり始めるかもしれない。このような状況も人生だと捉え楽しめる能力が必要だと思う。人生今があるだけでもありがたいことである。明日目が覚めて新しい一日を送れるのであればそれは100万ドル以上の価値があることである。

気楽に力を抜いて大いなる知恵をてにいれよう。

努力には正しい努力と間違った努力の二つがある

努力には正しい努力と間違った努力の二つがある。間違った努力を見極める力が必要であり、そこには経験と知恵が必要になる。社会で正しいとされていることもシチュエーションによっては害悪になることも多々ある。

くれぐれも焦りや罪悪感などから間違った努力をしないように気をつけた方が良い。もし、間違った努力をするくらいなら、努力などせず怠けている方が100倍良い。

(時に恐怖を伴うこともあるが)いっそ怠けていれば状況はどんどん良くなっていく物である。

毎日少しずつ賢くなっていく

毎日少しずつ賢くなっていく

普通に日々が送れると言うことはなんと素晴らしいことであろうか。

特に何もない平凡な日々、最高ではないか。少し憂鬱な日々であっても、その状況を楽しんでしまえる位が人生である。

のんびりゆっくりと、あるがまま、その状態を受け入れ、調子が悪いまま、無理せず、流れに任せることが出来たときに自然と良くなっていく物である。

のんびりと、未来に希望を持ちながら、例え現状が苦しくても、身に流れを任せることを恐れず諦めてしまう覚悟が必要なんだと思う。

 

山あり谷あり

日々の生活も山あり谷ありですね

私は健常者に比べて脳の体力が全然無く、すこしがんばるとすぐに鬱や神経症の症状が出てきます。最近よく本を読んでいるのですが、社会に出て活躍されている方の体力は本当に凄いですね。本の中で読むには刺激的でとても面白いのですが、自分は彼らの10分の1または、大げさではなく100分の1位です笑。

こうなると、もう他の人と同じ生活は出来ません。自分が出来る範囲での生活を送るしかありません。他者と比較すると惨めになったり焦燥感に襲われ自信をなくしてしますので、もう我が道を進むしかありません。これはもうどうしようもないことです。社会に出ること、とりわけこの日本では社会に出ることが非常に難しいです。引き籠もりと、社会参加の中間が存在しないため、社会に出た瞬間にものすごい体力を要求されます。この、中間という物があまりにも少ないことは国にとっても大きな経済損失となっており、非常にもったいないことだと思います。社会に戻れないために生活保護など社会保障費が増えることと、仕事が出来ないことが原因です。

 やはり、この日本で一度引き籠もってしまった場合、一歩を踏み出すときに待ち構えている壁があまりにも高いためもう自分が成長するしかありません。

ある意味もう周りと比較することは諦めております。出来ることだけをやり、少しでも苦になることはやらない。もう割り切って好きなことを命一杯やり、元気を少しずつ回復していくことが大事です。そして、日々内的成長を遂げ、自分一人でも満足して生きて行かれる状態になります。あるいみ、大いなる知恵を授かり、社会での価値観とは全く違う世界で生きていくことになります。最初の頃は、社会と価値観が違ったりすると孤独感や、不安と恐怖を感じます。でも、自己成長を遂げる過程になるのでそういうときはもう自分を信じて自分の好きなことだけをする。そうしている内に少しずつ賢くなり、状況も好転していく物です。少しでも楽しいことをするそれが一番大事だと思います。自分の幸せが、一番大事であり、周りがどう思おうと関係ないかと思います。

 

編集途中

まだまだ8歳くらい

僕の中で起きているパラダイムシフトは8年前から始まっている。

だから、今8歳である。

この進化は思った以上に非常に遅い。今現在もパラダイムシフトは起きていてこれは、死ぬまで続くのだと思う。だから、この経緯を記録するためにブログを始めた。

数年後また全く違う文章を書くことになると思う。

一日単位や月段位では変化があまり観察できないが年単位では凄く成長している。

パラダイムシフトなんてものが、存在するとは自分でも知らなかったし、聞いたり読んだりしても信じなかったと思う。でも、自分が体験してまさかこんなことが世の中に存在するとはと自分で驚いています。また、それが、私に起こるなんて想像もしていませんでした。幼少期から自分の中で構築されてきた物が一度壊され、また以前より綺麗に再構築しているようなイメージである。

一度にあまり多く説明すると難しい話になるので今日はこの辺で止めておく。

でも、8年前は気違いのようになりとても苦しかった。地獄の苦しみで、誰も理解することも、助けることもできない状態で毎日恐怖に襲われていた。

その後から数年かけて徐々に悪い症状はなくなっていき、今はプラスの良い面が多く出てきている。感謝である。このパラダイムシフトは終わりはなく、死ぬ目までずっと変化していくらしい。でも、前半は苦しいけど後半は今まで以上に良くなる一方らしい。

ここ最近は本当に素晴らしくなってきた。若い頃からありとあらゆる苦しみにとらわれてきたけれどもそれがどんどん癒やされてきている。まだまだ、治りきってはいないがあらゆる現象への感謝の気持ちが増えてきている。賢くもなってきた気がする。

これは本当にラッキーな現実である。

説明してもわかって貰えないことはわかっている、だから、記録として残しておく。

数年後、数十年後、僕の変化が顕著になり文章にも変化が出てきた頃、中にはわかってくれる人もでてくると思う。

それより、わたしは、このパラダイムシフトが存在しないことになっていることが残念であり、私以外にもこのような経験をしている人は沢山いるはずで、中には統合失調症と勘違いされ(自分でもそう思い苦しんでいる場合が多い)

このような神秘的な素晴らしい現象があると言うことが知識として頭にあるだけで、実際に起こってしまった場合に手助けになるのではないかと思い記録をしています。理解しているしていないで大きく苦しみの度合いに差が出ます。

また、そのような経験をしない方にも勇気が出てきたり、普通の場所からは教えて貰えない少し違う角度から人生を捉え、お役に立てれば幸いだと思っています。

迷惑になる情報や知識も多いかと思いますが、人と違う見解を述べることにも意義があるかと思い、少しでも気持ちが楽になったり救われる方がいたら嬉しいです。

また、私は今間だ文章を書いたことがありません。私の文章は数年後数十年後、魂が成長するにつれ徐々に上手くなっていきますので気長に考えてください。僕のパラダイムシフトもまだまだ8歳ですのでたかがしれています。

今後お楽しみに。

テレビは見ない方が良い 集団催眠術に掛かってしまう~~

私はテレビを見ない。もう20年くらいは見ていない。テレビを見るとこの日本村の常識に洗脳されるからみたくない。

でも、ニュースを見ることは大好きだ。ニュースと言っても国内ニュースではない、国際ニュースと経済、国政などである。

国内ニュースはNHKの19時の30分間のニュースだけは見ている。

でも、今日は本当にくだらない。平成最後だといいずっと平成最後の日だという話題をやっている。いったいどうしたというのだ?皆目を覚ませ。昨日も今日も明日も明後日も大事だ。平成が終わるから何だというのだ?誰かが勝手に決めた社会の規則だろう?俺には全く関係ない。皆にも本来は関係ない。毎日毎日が同じように大事だ。

令和という名前も良くない。どうしても目に入ってしまう名前なのでもう少し明るい漢字にして欲しい。安倍首相が命令したいという思いがこもっているとしか思えない。

なぜ(テレビの中の人々は)みんな令和が良い名前だというのかわからない、

平成とか関係なく、今日はいつもと同じありがたい日であり、明日もありがたい日である。毎日がありがたい日である。

私の目から見ると皆が集団催眠術に掛かっているように見え不思議である。

批判ではなく疑問なのである。目を覚まして有意義なことをしようではないか。

だから、テレビは見ない方が良いのだ。ニュースはニュースだけを取り上げれば良い。

平成最後とかは重要な問題ではない。国民的催眠術だ。

全く面白くない。

やはり、独りで好きなことをしている方がよっぽど楽しい。

それより、俺最近幸せなんだよ~~

朝目覚めたときからもう幸せ。

毎日が楽しい。

独りだけれども、忙しく毎日自分の好きなことに集中している。

気分が良い。

毎日に感謝をしている。

ラッキーだ。

 

追記

天皇は大好きです。なぜなら、平和を愛し、戦時中迷惑をかけた国々を廻り頭を下げたり、日本では被災地の方々に希望をもてる紳士的な対応をしている所を見て勇気がある立派な天皇だと思いました。本当にありがとうございました。