また、楽しい一日が始まる

こう見えてもやりたいことが沢山ある。

自分の中の資産を増やしていく感じ。

詳細 

なるべく歩く練習をして足に筋肉をつける。

基礎体力を増やす。

ブログを書く。読書やニュースを見る。あと部屋の片付け。

正直これ毎日同じ事をしている笑

でもほんの数ヶ月前までこれのどれもできなかった。何一つできなかった。

寝ているだけの日々であった。とても長く厳しい日々であった。大きな修行であった。

その経験が生き、今はとても強い人間になった。あのような恐ろしい経験をすると人間見えない部分が成長するものだ。心の奥の眠っていた部分がどうしても目覚めるのであろう。 確かに目の見えない人などの記憶力や手の感覚(マッサージなどは神がかった技術である)はするどく、一般人の数十倍の能力である。

よって、人間不幸な境遇に長く接していると自然と、ある一部の部分が極端に伸びるのだと思う。どうみても伸びていない方もいるので人によると思うが、、、

だからもし君が苦しく、誰よりも不幸だと思ったとき、一見無駄な時間を過ごしていると思えるときでも、内面では成長しているのだと理解しておいた方が良い。

僕なんか20年間社会から断裂しているのだから失った物は大きいはずだが、失ったもの以上に大きな物が手に入った、またはこれから手に入っていくと思っている。

最初の引きこもり15年くらいは失っていく怖さの方が大きかったが、ここ最近大きく捉え方が変わった。自分は他の人ができない貴重で大切な経験をしているのではないだろうか? 修行僧が人里離れた山谷洞窟の中に籠もり自分の心だけを見たりする修行をするが、自分は現代版の修行を知らず知らずのうちに行ってきたのではないだろうか?

それで、偶然、過去の偉人達がたどり着いた道に、一歩近づいたのではないだろうか?

そう考えている。とにかくポジティブになってきた。まだまだ、精神的症状はあるのだが、それも含めてもポジティブに移行しつつある。

とにかく毎日朝起き、いつものルーティンをこなしていくことが大きな喜びである。

普通の人であればこんな暇な生活は耐えられないと思う。なぜなら遊びに行けない、友達と電話もできない、ショッピングに行けない。友達もいない。

だが、この友達がいないと言うことは大きなプラスに捉えられてきた。完全一人とは、元来究極の自由であり、恐怖からの解放なのではないだろうか?と感じ始めているこの頃。友達はいた方が良い、または必要だと親や学校から習い、自分でもそうだと盲信していた。が、最近は必要ではないのかもしれない。正直まだわからないが今後徐々にわかってくることであろう。ただ今成長してから一つ言えることは、独りでも寂しくはないと言うことと、恐怖や不安が減ったと言うことである。究極の安定が手に入りつつある。何かあったときに電話しようなどど、精神的に人に頼ることはない。精神が安定する効果がある。これはとても強い武器なのではないだろうか?人とのつながりが必要であると言うことは精神的になんて不安定なことであるか?良い面も当然ある、だが、今の今まで、一人きりでも大丈夫、幸せでいられるという選択肢が私の頭の中からは欠落していた。友達ゼロは不自然で寂しいことだと考えていた。

これらの境地も、自分が成長したからたどり着いた境地である。

かつては、寂しさや、理解されないこと身体的に電話すらできない境遇を恨んでいた時期もあった。

だが、今、今日徐々にではあるが、パラダイムシフトが起こり、完全独りが大丈夫なのではないかという境地に辿りつつある。いやいや、独りの方が強いと感じつつある。まだまだ赤ちゃんの領域だがこれからの自分の成長が楽しみである。

でも、自分でいうのもなんだが、本来私は友達に優しいし、社交的な人間である。

今でももし、友達がいれば温和な人付き合いをするタイプである。

学生時代は社交的な性格でした。

僕は文章があまり上手くないので、上手く伝わるかわからないがこれからも一生懸命、事実を伝えていければと思う。目に見えないパラダイムシフトであるので、表現することが難しいが、一生懸命表現していきます。