寂しさとは
最近は寂しさを感じない。
一人きりでいることに満足感を覚えている。
一人きりでいられると言うことは、完全な自由なのではないだろうか?
家族や友達がいることが幸せと一般的には思われているし、私もそうだと思っていた。
何かあったときに話ができる友達がいることは大切だとずっと教わってきた。それは、嘘ではないだろうか?それは、家族や友達に依存しているのであって、無意識であってもいなくなることが怖い。3日間、全く人と会話しなかったら耐えられない人が多いのではないだろうか?
私は引き籠もって20年一人でいても寂しくない境地に最近やっとたどり着いた。
初めてたどり着いたのだが、これは究極の自由である。失う物のない自由。
人の顔を伺わなくて良い、外部に依存していない。まるで、たばこを止めたときのような自由を感じる。
自分の感情が外部要因によって左右されるのは本来健全ではない。
本当の健全な自分とは、一人でいられる力なのだと気がついてきた。
この境地に来ると怖いものがなくなる。
とても居心地の良いことだと思う。
家族、恋人、友達に依存するのは自分にとってマイナスであると最近は思い出している。あまりこういう意見は聞いたことはなかった。やっと自分で探し当てた。
人生あまりに辛く壮絶だったのでたどり着けた道だと思う。
本来私は究極のさみしがり屋なのだから。
寂しくないと言うことはなんて素晴らしいのだろう。
もう、何も証明する必要も無いし、周りの目を気にすることもない。
人付き合いをすると少なからず他人からの評価に気を遣ったり、傷つかないように生きている。だって、いまちょんまげして歩けないし、裸でも歩けないし、化粧しないで出かけられない人もいる。髪の毛も切らなくても良い。やはりみな何かしら世間の目を気にしているのである。昔は皆、裸で生きていたのだから、、
極端な例を挙げたが、元来裸で走り回れるのが本当の自由であるのだが、現代はそれはできない。でも、一人でいられる力があると社会からの常識にとらわれず自分の好きなことを好きなだけできるのである。自分の尺度で、やりたいことを命一杯やって良い。
日本の常識は世界では非常識である事は立証されているが、現代の常識は未来の非常識であることは間違いない。だから、社会という物から離れた方が良い。で、とことん離れるためには独りになる力が必要である。
一人でいても充実して寂しさを全く感じない境地がある。
それは居心地の良い境地である。