鬱などは治るときが一番危険

鬱や神経症など苦しい経験は治りかけが一番苦しい。

少し快方に向かうと苦しくなる物である。それが今の僕の状態である。

一番苦しいときはあまりにも何も出来ず、行動範囲が本当に小さくそれ以上のことを望む意欲もなく日々、小さい生活パターンで憂鬱と生活をしているのだが、少し快方に向かうと、自然と心の求める物が正常に近づき大きくなる。その要求にまだ応えられない症状がある事により苦しむ。また、苦しかったときにしていたことがあまりにもつまらないことに感じられ、何も出来ない自分にストレスを感じるようになる。

このようなストレスが生じたらむしろ喜ぶべきである。治る過程ではこのようなストレスが掛かるという知識があるだけで、ストレスを希望に変えていこう。

今、僕もストレスが多いが、大分満足している。生活パターンを大きく変化させ、大概のことは諦め、やりたいことの20%くらいしかやらない事をモットーに生きている。あらたなストレスを作ることを避け、日々なるべく楽しく過ごすようにしている。諦めの境地である。

様々なすることを諦めたので少し脳の体力的には余裕が保てている。もう、出来ない自分を含めてかわいがることである。

未来必ず素晴らしく良くなると言うことを確信し、今は出来ない事が多い自分を受け止めてあげよう。

一見停滞しているように見える今現在も、内在的に大きな知恵を育んでおり、健常者が学べない大いなる知恵がみるみる成長しているのである。見えない分野の能力が飛躍的に伸びていることは確かなので安心していて大丈夫だ。これは、素晴らしい経験である。人間死を覚悟したり、死に近い経験をしてもその後信じられないくらいの内側の進化が起こる。それと似たような物である。