やっと幸せになってきた

少しずつ幸せになってくる。

若い頃は様々な欲を抱え、病気が治りたいや普通の人と同じ生活をしたいとか、遊びたいとか本当にたくさんのやりたいことがあった、と同時に内面の苦しみを抱えていた。

最近、全てがどうでも良い。あるがままである。もしこれが出来なかったとしても、それはそれで良いと思えるようになってきた。与えられた環境で出来ることを日々淡々としていく。些細な毎日の中に些細な幸せを見つけていく。そんな生活が幸せである。

普通のことを普通に感謝できる心の状態が一番大事であって、苦しんでいるときにはその能力を見失っている。今でも、少し無理をした後に普段感謝できていることに、今日は感謝の気持ちが出てこないな~ いつもなら感謝の気持ちがでるのにおかしいな~ という日がたまにある。 そんな日は無為の状態になってエネルギーを貯め治さなくてはいけない。 そんなときに限ってあばれてむやみに余計に努力したくなるが抗ってはいけない。それがコツである。

年を取るにつれ、経験を積むにつれ賢くなってきた。だが、今のこの日々無駄に過ごしている状況が10代20代であったのならばもったいないだろう。もう8年間連続で引き籠もっている。だが、この引きこもっている間にも大きな成長を遂げている。

もし、引き籠もっている人がこのブログを読むことがあったならば希望を捨てないで、もう諦めてぼーとしていれば大丈夫。外側から見えるところは無駄ばかりであるが内面は大きな成長を遂げている。回復に向かったときに実感すると思う。こんな無駄な生活の中にも大きな成長が同時進行で起きている。

だんだん、この地味な生活が満足感に繋がり、徐々に活動領域も増えてくるのだ。

期待なんか持たないで、やりたくないことを避けているだけでも恵まれている。

一番害悪なのは、頭の中が忙しく動いている状態だ。これは、自業自得でもあり、自分で自分を最悪の状態に持って行っているのであって自分で止めるしかない。頭の中を少しでもゆったりとした状態にすることが一番大事な使命である。私も昔は頭の中が忙しく止まらなかったが今は空っぽでもうすぐに諦める。諦めるとエネルギーが貯まり新しいことを始める。そうそう執着を持つことが一番の負のスパイラルへの片道チケとである。ダメだと思ったら諦め違うことをやる。そして、役に立つことをやるのではなく、自分の好きなことや楽なことをやると救われる。

成長

執着が取れてきた

最近は執着がないのでずいぶんと楽になった。

むかしはさまざまな常識にとらわれ、社会から取り残される孤独感など多く抱えていた。寂しさや不安、焦りを持っていた。

大いなる智惠をえると、このような感情は癒やされていくみたいだ。

周りの環境は何も変わっていないむしろ悪化しているのではないだろうか

私は死を覚悟したことは何回もある。様々な形で死を感じた、そして、毎回死を覚悟する度に精神が飛躍的に成長している気がする。

If it doesn't kill it, it gets stronger.

死を覚悟すると、思考が大きくなる気がする。それが繰り返されると、今まで信じてきた常識などが崩れ落ち、必死に守ってきていた物、大切だと思っていた価値観などが崩壊する。崩壊の途中段階は迷子になるので一番苦しいのだが、本当に崩壊されてしますと、自由になる。

だいたい必死に守っている物は外側のものであり、崩壊して崩れると内側の物だけが大事になる。価値基準が大きく変わる。

言葉にすると難しいのだが、このような変化が起きている気がする。

嫌いなことはすぐに止め、楽しいことに情熱を捧げることが一番良い。

何もしない時間も重要である。

焦らず、のんきで前向きな心のあり方が自分と周りの人々を救うことになると思う。

よき時代

ひさしぶりの書き込み

最近時代はどんどん良くなってきている。

これは情報リテラシーがあるかないかで大きく左右する時代である。

最近の若者は育ちが良いのか、昭和世代と比べて豊かな心を持っている。

僕の時代は、バブル崩壊した後の世代なので社会がギスギスしていてきつい時代だったため、恐怖心を抱えている時代だ。

でも、今の若者を見ていると、期待が持てる。リテラシーが高い組は楽観主義者でリテラシーが低い組は昭和の負の遺産を抱えながら、昭和のマインドで生き続けることになる。

これからの時代、自分が同社会を捉え、どのマインドで活躍していくかを問われている時代である。あるいみ振るいにかけられているのかもしれない。

今、目覚めて気が付いている人は気軽に良い物が自分の手に入れられる。

その差が大きくなってきている時代なのかもしれない。

今後も情報リテラシーの差による格差は大きくなりそうだ。あるなしで住む世界や周りの環境が大きく変わるであろうことが想像できる。

自分は、あるいみ全てを投げ出し完全独りで生きているので、全ての感情は自分に依存している。これは、安定的であり、自分の行動に全て責任を持たなければならない。気楽に生きているが、自覚する寂しさはない。

友達が全くいないというこの状況も悪くないのである。

昔は友達に囲まれていたが、今は友達一人もいない、寂しくなく、精神的にだれにも依存しておらず良い状態である。

一般的に多分、友達一人もいない状態になることに恐怖を持つと思う。

自分もそうであった。だが最近もう独りが良い。独りは責任が全て自分にあるのでやりがいがある。ごまかしなどは全くきかない。励ましてくれる人もいないし、認められたりもしない。つるむことや共感することも無い。もうすべて自分の責任である。

ずっと独りではないと思うが、今はこれが良い。

20年引き籠もってやっとこのような心の成長を遂げた。

 

悩みがない境地

昨日本を読んだら人間生きてい限り悩みがあると書いていたがそんなことはない。

代々木忠という人物で瞑想などもする方なので異議を唱えたい。

毎日の生活に悩みがない人もいる。僕もそうなりつつある。

それは、承認欲求や、社会の中で生きていたら悩みは自然と出てきてしまうのかもしれない。だが、思い切ってできる限りやりたくないことをやらない。僕の場合は友達がいない。最後に友と言える人に会ったのは8年前だ。僕はほぼ一人きりだが寂しさを持っていない。いや、それ以上にもし、人間関係があったら良いこともあるが依存や寂しさとの裏返しであり僕にとっては本当の幸せには思えない。

本当に一人でいられることは、寂しさを感じないため本当に安定している。

全ての責任は自分にあり無駄な外部要因からの不安定さが全くない。

本当に自由である。羽ばたきたいくらいの自由である。

こんな経験できる人は少ないが、思い切って正しいと思い常識である事を敢えて壊して、真の自由を手に入れるためには今正しいと言われていることに刃向かわなくてはいけない。それは、あるいみ恐怖も伴う。皆と完全に違う道に行くのだから。批判もされる。だが、それを達成した後に本当の目覚めがおき、毎日悩みのない生活が送れるのである。

僕は、今はまだまだだけれども、この8年間で大きな成長を遂げている。あと10年位経った時にはもっと詳しく悩みのない境地をもっと詳しく詳細な実体験を説明できると思う。

今はまだその道途中である。

今後が楽しみである。

僕の文章も年々変化していくと思うので今から書き記していくことが大事だと思い書いている。

また今日も楽しい日が始まる。

私に魂の成長は必ず起きる 今現在も進行形で起きている

私の魂の成長は8年前から起きている。もしかしたらその前もうつ病の為起きていたのかもしれないが明らかな転換点は8年前である。だが、この8年間人生は素晴らしく変化を遂げてきたが、スピードがあまりにも遅い。日に日に良くなる物では無く、1年いや数年経たないと顕著にはわからない。また、変化のスピードが遅いため認識できず気づかない方もいると思う。私は幸運なことに8年前に明らかに転換点を迎え幸運にも知人から知識を頂きそれから猛勉強したので自分に何が起きたのかを把握した。もし、知識が無かったら、統合失調症として気が狂ったと診断され、病院に入院していたであろう。自分から命を絶ったかもしれない。この知識を教えてくれた知人は命の恩人かもしれない。

とにかく、私の中ですごいパラダイムシフトが起きていることは確実なのだが、負の遺産も多くありこの8年間はどちらかというと負の遺産の方が目立っていた。やっと、目が覚め、負の遺産からゆっくりと解放され初めて、プラスの効果の方が目立ってきた。

これからが楽しみだ。

早く死にたいと思い同時に長生きしたい

ここの所ニュースなどで死んでしまった人の話を聞くと羨ましくなる。

けがや病気で苦しんでいる人の話は本当にいたたまれなくなる。

でも、死んでしまった人の話を聞くと、あ~もうこの生の苦しみから解放されたんだな~と思い、良かったな~と思ってしまう自分がいる。

自分も今すぐぱっと命が絶たれ死んでいくのであれば、今までの苦しみから解放され良いだろうな~と思うと同時に、長生きしたいと考える自分もいるから不思議である。死ぬなら死にたい、死なないなら健康でいたいという願望であろう。今まで精神的と身体的に本当に苦しんできたので、もう、死んでしまっても良いと思いつつも、生きているからには、健康をおろそかにせず積極的に運動をしたり、できる限り健康的な食事を取ろうと人一倍思うのである。もっと元気になれば死にたいとは思わなくなるのかもしれないが、今は半分半分という感じです。

けしてネガティブからそう思っているのではなく自分の考え方がこのようにシフトしただけだと思っている。

生きている間は適度な運動をし、頭の中の思考をプラスに変えていき、なるべく良い食事を取っていこうと思う。

ま~ほのぼのとした日々がゆっくりと送れていくだけで幸せである。

小さな事に感謝できる心の状態を維持していきたい。

それが自然と出来たときに、真の幸せな気持ちでいられる。

鬱などは治るときが一番危険

鬱や神経症など苦しい経験は治りかけが一番苦しい。

少し快方に向かうと苦しくなる物である。それが今の僕の状態である。

一番苦しいときはあまりにも何も出来ず、行動範囲が本当に小さくそれ以上のことを望む意欲もなく日々、小さい生活パターンで憂鬱と生活をしているのだが、少し快方に向かうと、自然と心の求める物が正常に近づき大きくなる。その要求にまだ応えられない症状がある事により苦しむ。また、苦しかったときにしていたことがあまりにもつまらないことに感じられ、何も出来ない自分にストレスを感じるようになる。

このようなストレスが生じたらむしろ喜ぶべきである。治る過程ではこのようなストレスが掛かるという知識があるだけで、ストレスを希望に変えていこう。

今、僕もストレスが多いが、大分満足している。生活パターンを大きく変化させ、大概のことは諦め、やりたいことの20%くらいしかやらない事をモットーに生きている。あらたなストレスを作ることを避け、日々なるべく楽しく過ごすようにしている。諦めの境地である。

様々なすることを諦めたので少し脳の体力的には余裕が保てている。もう、出来ない自分を含めてかわいがることである。

未来必ず素晴らしく良くなると言うことを確信し、今は出来ない事が多い自分を受け止めてあげよう。

一見停滞しているように見える今現在も、内在的に大きな知恵を育んでおり、健常者が学べない大いなる知恵がみるみる成長しているのである。見えない分野の能力が飛躍的に伸びていることは確かなので安心していて大丈夫だ。これは、素晴らしい経験である。人間死を覚悟したり、死に近い経験をしてもその後信じられないくらいの内側の進化が起こる。それと似たような物である。